芸能人!Twitter芸で炎上芸!

炎上

Twtter炎上現象

特定の誰かが問題ある火種を起こすことで話題になり、小規模な祭りとなる。その特定のアカウントにアクセスや反論コメントが集中したりする。そのために関係するサイトやブログなどにもアクセスが集中し、サバコンの動きが鈍くなるなどを比喩的に呼ぶ言葉である。

Twitter上での一般人とのコミュニケーション方法をうまく見極められず、炎上してしまう有名人は後を絶たないですよね。Twitterの使い方は千差万別なのだけど“有名人”という影響力のある立場を自覚しなくてはなりません。有名人がつぶやけばそれは街頭演説してる政治家のように公言してると扱われてしまうのです。大変なご職業だと思います。

そこで今回わたしがTwtter炎上した芸能人を調べてみることにした大きな動機となった大物有名人がいます。それは鬼束ちひろさん。彼女はシンガーソングライターで2000年、20歳のときにデビュー。同年発売されたセカンドシングル「月光」が大ヒットし、一躍スターとなった彼女。

デビュー間もない頃の清楚な雰囲気とはガラリと変わり、ド派手で強烈なスタイルに。デビュー当時から自分のイメージとは真逆の清楚なスタイルをさせられていたと語る鬼束さんは今のスタイルが一番自分らしいとインタビューで答えていたのを記憶します。そんないま最も自分らしい姿で表現されてる彼女のTwtterも話題になりました。なんと「あ~和田アキコ殺してえ」「なんとか紳助も殺してえ」とツイートし、事務所が謝罪したいう事件。格好の炎上ネタとなりました。

そんななんだかんだと気になる有名人の言動行動が気になる私たち庶民は、非難も応援も含めて彼女らを見守りたいと思い、炎上有名人まとめてみました。今日もどこかでネタをつぶやいてくれてるかもしれません…

鬼束ちひろ

鬼束ちひろ(おにつか ちひろ、1980年(昭和55年)10月30日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。本名同じ。宮崎県日南市南郷町(旧南那珂郡南郷町)出身。宮崎県立日南高等学校卒。身長154cm。所属事務所はNAPOLEON RECORDS、所属レコードレーベルはFOR LIFE MUSIC ENTERTAINMENT。

人物

家族構成は、父・母・弟・妹の5人家族であり、自身は長女である。小学生の頃より部活で陸上を始める。中学時代は陸上部のキャプテンを務め、短距離400mリレー走選手 九州大会にも出場歴がある。

プライベートでは、お笑いコンビのシャカを誕生日パーティーに招待するなど社交的な面がある。休日の過ごし方は「家でゴロゴロしたり一人で買い物したりする」という。生活パターンは、昼夜逆転の生活を送っており、楽曲制作は専ら夜中(2〜3時頃)に行っているという。

自身の性格に関しては「人見知りしない性格」と分析している。また、所謂「熱しやすく冷めやすいタイプ」であり、例えば茶そばを3日間連続で食べ続けて飽きるなどのエピソードを公言している。

サインは、以前はドクロのイラストマークの下に「CHIHIRO」という文字をもってサインとしていた。現在は筆記体で「Chihiro」(Cの部分が鬼をイメージしたイラストマークとなっている)と書かれたものをサインとしている。

好きなこと

  • 好きな小説はアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子さま』。
  • 好きな漫画は古谷実の『行け!稲中卓球部』や岡田あーみんの『こいつら100%伝説』、井上雄彦の『SLAM DUNK』など。
  • 好きな映画は『アメリカン・ビューティー』や『ギルバート・グレイプ』、『バトル・ロワイアル』、『溺れる魚』など。また『もんしぇん』、『ぐるりのこと。』、『ラストゲーム 最後の早慶戦』 では作品に対する賞賛のコメントを寄せている。
  • 好きな服飾はMILK FED(ソフィア・コッポラによるデザインのブランド)の洋服 やヴィヴィアン・ウエストウッドのブーツ など。
  • 好きな食べ物はマクドナルドやコーラ、キャベツ太郎、梅干、チョコレート。コーラは常時ステージドリンクとしているほどで、梅干に関しては「白いご飯と梅干さえあれば大丈夫」とまで発言するほどの大好物。
  • キャラクターグッズが好きで、中でもディズニー映画『ピーター・パン』に登場するティンカー・ベルグッズがお気に入り。自身で「おたま」(オタマジャクシがモチーフ)の縫いぐるみ や十字架などのビーズアクセサリー を作成する事もある。
  • お笑い好きで、好きな芸人はシャカ、田上よしえ、ルート33など。特にシャカはお気に入りで、出演した番組中でも「色々浮気をするけれど結局シャカに帰ってくる」と話しており、どちらかと言えば大熊啓誉(ボケ担当)の方が好きであるという。
  • 好きな詩人には銀色夏生を挙げており、中学時代からのファンであり「モロに影響を受けた詞も書いていた」と後の対談でも語っている。
  • 好きな四字熟語に「疾風怒濤」を、単語に「虎」を挙げ、モットーに「(良い意味でも悪い意味でも)やられたらやり返す」を挙げている。

音楽性

楽曲制作の手法として大まかに、曲を先に制作してからそこへ詞を付ける作曲先行(いわゆる曲先)と、詞を先に書いてから曲を乗せる作詞先行(いわゆる詞先)の2通りがあるが、鬼束の場合は必ず詞先で曲作りを行う。これは鬼束が楽曲において歌詞を最重要視しているためであり、もし歌詞と曲がマッチしていない時でも、「詞の世界を壊したくない」「直感を大事にしたい」との理由で歌詞を変更することはいっさいなく、曲のほうを無理やり詞に合わせたり、曲のフレーズに詰め込む等の手法を用いる。曲作りは大抵夜中自宅の部屋の中で行い、思いついた歌詞を書き上げ(本人は「(歌詞が)降りてくる」と表現・説明することもあるが、神がかり的に受け取られることを嫌ってその表現を避けることもあった)、それに曲をつけるという方式が主である。常にその場で曲を作り上げるというが、例外として「everyhome」は曲を作り上げるまでに3日間を要したという。

楽曲については、元プロデューサーの羽毛田丈史が重視する、ピアノを基盤としたアンプラグドやアコースティックな生音での楽曲が主体で、ストリングスが用いられる楽曲も多い。鬼束の圧倒的な個性が出発点で、それゆえに、ピアノと鬼束のボーカルだけのパフォーマンスが究極の帰着点であると羽毛田は捉えていたようである。鬼束自身もアコースティックやカントリーな楽曲を好み、作曲もキーボードにて行っていることから、このスタイルを理想と考えていると思われる。羽毛田から音楽プロデューサーが変わった後も、ピアノを基盤とした楽曲制作は踏襲されているが、ギターサウンドやカントリーロックといったような、様々な編曲が試みられている。

作品制作においては、鬼束自身は、デモ音源を音楽プロデューサーに渡した後は一切楽曲の制作工程(アレンジやアルバム収録曲の選定や曲順決め等)には関与しない方針を貫いている。

作詞を始めたのは小学4年生の時の夏休みの自由課題がきっかけ。現在の作詞スタイルを確立させたのは中学2年生の時、アラニス・モリセットの世界観に影響されてからで、その時の詞は上京する際にすべて焼却処分したという。歌詞の書き方は「everyhome」の制作を皮切りに変化が生じている。活動休止前の制作スタイルとしては感情をぶちまけるように歌詞を書くというのが主であったが、活動再開後は「自分が他の歌手だったらこういう書き方をする」というように自分を客観的に見て歌詞を書いたり、映画の映像から見た印象をモチーフとして歌詞を書く(「everyhome」は『フォレスト・ガンプ』、「Sweet Rosemary」は『ギルバート・グレイプ』、「bad trip」は『スパン』等)ようにもなってきている。

歌う時は左手を上下運動させたり身体でバランスを取る。気持ちがいい・解放感がある・バランスがとりやすいという理由から、裸足で歌うことが多い。裸足でのステージが印象深い故に、裸足の歌姫と形容されている。裸足で歌い始めるようになったのはシングル「月光」発売頃で、2000年7月26日に出演した『ASAHI SUPER DRY MUSIC SPIRAL 2000』の時点では既に裸足で歌い始めている。歌うときは腕時計やチョーカーなど身体を締め付けるものは絶対に着けない。これは束縛感を嫌うためであり、厚着もしない。

好きなアーティストとして公言しているのは、ジュエル、アラニス・モリセット、シェリル・クロウ、アマンダ・マーシャル、メリッサ・エスリッジ、ジョニ・ミッチェル、ポーラ・コール、キャロル・キング、インキュバス、サイモン&ガーファンクル、トーリ・エイモス、Wink、岡村靖幸、THE BACK HORN など。

楽曲と世の中の動き

シングル「infection/LITTLE BEAT RIFLE」の発売から4日後にアメリカ同時多発テロ事件が発生し、「infection」の歌詞がそれを連想させるような内容であったため、プロモーションが自粛された。本人は、「楽曲と世相とがリンクすることは以前からあったのでショックでもないし驚かなかった」と語っている。

所属レコード会社・事務所の変遷と活動休止

前所属レコード会社と事務所を離れた理由について本人は当初はコメントを出さなかったが、2007年(平成19年)にアルバム『LAS VEGAS』をリリースするにあたり複数の雑誌のインタビューでその心境を語っている。

移籍の発端となったのは2003年(平成15年)に声帯結節を発症してからの活動の流れに違和感を覚えたことで、このことについて「「いい日旅立ち・西へ」のあたりから周囲と波長が合わなくなってきた」「楽曲自体には問題はなかったが、周囲を信用できなくなってきて無理が生じた」 と語っており、「前の事務所ともめ事があってそれで力をなくした」 との発言から事務所との作品発売に対する確執があったことも示唆している。一部メディアでは、決別が決定打となったのは『シングルBOX』の発売が関係していると言われていたが、これについては後に本人いわく「契約上の問題」「単に関与しなかっただけ」としている。

また、「育つ雑草」を発売後休養し、Sony Music Artistsを中途で契約終了した件については「自分のペースでの創作と、アーティスト活動、世の中のペースが一致しない」 としており、「何か問題やトラブルがあった訳ではない」「もっともっと休む時間が必要だった」と語っている。

2005年に玉井夕海と出会い、翌2006年(平成18年)の映画『もんしぇん』に関わるまで表舞台に姿を現すことはなかったが、その間にも友人である歌手のMEGのブログに名前が挙がったり週刊誌の記事に関係者のコメントが掲載されるなど、間接的に近況が報じられることはあった。

交友関係

自身が友人であると公言している人物として中島美嘉、我那覇美奈、元ちとせ、篠原ともえ、氣志團、妻夫木聡、藤原紀香 が挙げられる。中島については、アルバム『Sugar High』リリースを記念して開設された期間限定ウェブサイト『oni.tv』等においても本人から度々話題に挙げるほど親交があった。逆に鬼束を友人と公言している人物として玉井夕海、MEG、鈴木杏 などが挙げられる。

楽曲や作品、世界観を評価する著名人も多く存在する。鬼束に影響を受けたと公言している歌手として、MisaChi、牧伊織、関山藍果、熊谷育美、吉岡亜衣加 等が挙げられる。MisaChiは、鬼束とは日南高等学校時代の同級生であり、かつて久嶋美さち名義で活動していた際に特に影響を受けた楽曲として「infection」を挙げている。歌手以外にも漫画家の徳弘正也もファンであることを公言しており、鬼束が音楽活動を休止中には活動の再開を望むコメントを出している。タレントの相沢真紀は、「月光」の歌まねをテレビ番組で披露したことをきっかけにものまねタレントに転向している。また、「いい日旅立ち・西へ」のカバーに際しては山口百恵が絶賛し、「蛍」に関しては映画監督の神山征二郎、徳光和夫、石坂浩二、渡辺大 らが高く評価した。その一方、音楽家の菊地成孔は自身のコラムにおいて、世界観や歌唱法を宗教性と絡めて酷評した上で「育つ雑草」の歌詞に関して「完全迷走状態で面白い」と述べたこともある。

鬼束ちひろがモチーフとなった作品および登場人物

2002年(平成14年)から2006年(平成18年)まで『まんがタイムきらら』(芳文社刊)において発表された藤島じゅん作の4コマ漫画『てんしの末裔』では、主人公の友人として鬼束の名前をパロディ化したとされる「鬼塚ちひろ」(おにづかちひろ)というキャラクターが登場する。

また2006年に発表された映画『もんしぇん』は、鬼束ちひろの存在と楽曲がモチーフとなって制作され、劇中にも鬼束をモチーフにしたとされる「ちい」という人物が登場する。

商業作品以外では、「幻想綺譚ChronoMobius-クロノ・メビウス-舞台裏」>本編>トーナメント編>対戦表>サブ展開に、2010年の鬼束ちひろDV事件をモチーフにした「予選1」が格納されている。

人となり

  • 幼少から、音楽好きの両親の影響で(特に母親の影響が強い)洋楽に触れる。小学2年生の時に友達に誘われてエレクトーンを習い始め、中学3年生の時まで習い続ける。
  • 中学時代に母親にカーペンターズのベストアルバムを聴くよう勧められてから音楽に興味を持つ。以降は外国人女性シンガーソングライターの楽曲を中心に洋楽を主に聴くようになる。
  • 高校2年生の時にジュエルのアルバム『心のかけら』によってその音楽と存在に衝撃を受け(後に自身はライブやテレビでジュエルの楽曲「Foolish Games」「You Were Meant For Me」をカバーしている)、その瞬間からシンガーソングライターを志す。17歳の時に、文化祭でエイズに関する劇の主役をやった事に感化され、初めての楽曲「call」を作る。以降デビュー決定後までは全て英語詞で楽曲を作る(当時作った「call」や「edge」などの曲は日本語詞で、「NOT YOUR GOD」は英語詞のままで、それぞれデビュー後にCDに収録される)。
  • 高校3年生に進級してすぐ、オーディション雑誌『De-view』(オリコン・エンタテインメント刊)を読み、当時のマネジメント会社のMELODY STAR RECORDSが主催の「Virgin ARTIST AUDITION」のオーディションを受ける。そこで「call」を披露、才能を評価され、グランプリを受賞。学校の閉塞感や同調を強制させるシステムにもともと嫌悪感を抱いていた事や、歌手志望のために大学受験をする気がなかった事等から、高校3年生の頃は学校へはほとんど行かなかったという。
  • 1999年(平成11年)
    • 3月 宮崎より上京し、作曲活動に入る(「We can go」、「シャイン」、「月光」、「シャドウ」などはその当時に作られた)。
    • 10月 シングル「シャイン」のレコーディングに入る。
  • 2000年(平成12年)
    • 2月9日 シングル「シャイン」で東芝EMI・Virgin TOKYOよりデビュー。
    • 2月10日 フジテレビ系『めざましテレビ』でTSUTAYA渋谷店インストアライブの模様が放送され、テレビ初登場。
    • 8月9日 2枚目のシングル「月光」発売。テレビ朝日系ドラマ『TRICK』の主題歌になり、ロングヒット。約60万枚のセールスを記録する。
    • 9月8日 監督を手掛けた堤幸彦の依頼により、ドラマ『TRICK』最終話エンディングのシーンに出演し、主題歌「月光」を歌唱する。
  • 2001年(平成13年)
    • 2月16日 テレビ朝日系『ミュージックステーション』出演の際、ハムスターをベランダで凍死させてしまったというエピソードを語ったところ、ネット上を中心にトークの内容と言動に非難が殺到。放送翌週の2月23日に当時の所属事務所であるMELODY STAR RECORDSよりトークに関する声明文が発表される事態にまで発展する。
    • 3月7日 初のアルバム『インソムニア』発売。約150万枚のセールスとなるミリオンセラーを記録する。同日、ニッポン放送『鬼束ちひろのオールナイトニッポンR』で初の単独パーソナリティーを務める。
    • 4月10日 初のライブツアー『CHIHIRO ONITSUKA LIVE TOUR 2001』をBIG CATの公演で開始。後にWOWOWでライブの模様が放送される他、一部はDVD『CRADLE ON MY NOISE L*I*V*E 〜LIVE INSOMNIA VIDEO EDITION〜』にも収録される。
    • 9月11日 アメリカ同時多発テロ事件が発生。4日前の9月7日に5枚目のシングル「infection/LITTLE BEAT RIFLE」が発売されたばかりであったが、「infection」の歌詞の内容に事件を予見していたかのようなフレーズがあるということから、事件から2日後の9月13日に東芝EMIより楽曲のプロモーションを自粛するという声明文が発表される。プロモーション活動は約1か月半自粛され、プロモーションビデオも放送されず、代わりに両A面となっていた「LITTLE BEAT RIFLE」で同作品のプロモーション活動を行うこととなる。
    • 9月21日 NHK『トップランナー』に出演。番組内で初めてジュエルの楽曲「Foolish Game」をピアノ弾き語りでカバー。
    • 12月 台湾の歌手である劉虹のアルバム『好好愛我』収録曲の「月光」を書き下ろしで提供する(自身の代表曲である「月光」とは無関係)。他アーティストへの楽曲提供は初。
    • 12月31日 4枚目のシングルとして発表した「眩暈」で、第43回日本レコード大賞作詩賞を受賞する。
  • 2002年(平成14年)
    • 2月2日 「螺旋」が挿入歌として使用されたリュック・ベッソン監督、ジャン・レノ主演の映画『WASABI』公開。
    • 2月9日 友人のバイクに同乗していた際、バイクが自動車と接触して横転、軽傷を負う。
    • 3月13日 アルバム『インソムニア』が日本ゴールドディスク大賞ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。同日、ニッポン放送『鬼束ちひろのオールナイトニッポンR』が放送される。
    • 3月25日 2度目のライブツアー『CHIHIRO ONITSUKA 'LIVE VIBE' 2002』を渋谷公会堂の公演で開始。4月初頭、過労による急性腸炎を発症し、大阪と仙台の2公演を延期し、ツアー終了後は休養を挿む。
    • 11月5日 日本武道館ライブ『CHIHIRO ONITSUKA ULTIMATE CRASH '02』で活動を再開する。
    • 11月30日 テレビCF初出演となるKENWOOD企業CM「心ヲ揺サブルモノ 心ヲ満タスモノ」編が放送開始。
  • 2003年(平成15年)
    • 1月3日 NHK総合にて初のドキュメンタリー番組『ARTIST DOCUMENT 神が舞い降りる瞬間 〜鬼束ちひろ・22歳の素顔〜』が放送される。
    • 3月10日 オフィシャルサイトの登録メンバーを対象に抽選で招待となったライブ『SPECIAL LIVE presented by VISA International』を行う。招待制ライブは自身初。後にテレビ朝日でもライブの模様が放送される。
    • 5月23日 フジテレビ系『笑っていいとも!』に出演。テレビ朝日系『ミュージックステーション』にも出演し、同日に2つの生放送番組に出演する。
    • 8月5日 朝日放送の企画『SOUND RENAISSANCE』と連動して、クラシック音楽家・歌手以外では史上初めて、大阪のザ・シンフォニーホールにて、ライブ『UNPLUGGED SHOW '03』を行う。8月29日には東京サントリーホールで同公演を行う。
    • 9月10日 声帯結節手術に伴う休養のため、年内の活動を休止すると発表する。10月に予定されていたイベントライブも中止となる。
    • 10月29日 山口百恵の往年のヒット曲「いい日旅立ち」をカバーした9枚目のシングル「いい日旅立ち・西へ」発売。作詞作曲者の谷村新司が詞をリメイクしている。谷村のラブコールにより実現したもので、引退した山口百恵(現姓・三浦)も太鼓判を押したという。JR西日本のイメージソングとしてCM等で放送される。
    • 11月26日 10枚目のシングル「私とワルツを」を発売。東芝EMI時代最後のオリジナル作品となる。
  • 2004年(平成16年)
    • 3月17日 これまでにリリースされた全10枚のシングルをボックスセットにした『シングルBOX』を初回限定生産で発売。当初はオリジナルアルバムとDVDをリリース予定だったが急遽発売中止となり、差し替えられて本人の関与なしで発売される。
    • 4月3日 MELODY STAR RECORDSとのマネジメント契約終了。1か月遅れの5月29日にMELODY STAR RECORDSのサイト上で正式発表。
    • 6月18日 所属事務所をSony Music Artistsに移籍。サイト上でファンに向けてのコメントを発表。
    • 7月23日 所属レコード会社をユニバーサルミュージックに移籍。同時にレーベルをユニバーサル傘下のA&M RECORDSに移籍、同レーベル所属アーティストの第1号となる。
    • 9月20日 日比谷野外大音楽堂での、スペースシャワーTV主催の音楽祭『SWEET LOVE SHOWER 2004』に、シークレットゲストとして登場。ニルヴァーナの「Smells Like Teen Spirit」とアラニス・モリセットの「King of Pain」(オリジナルはポリス。ライブアルバム『Alanis Unplugged』収録のカバー)をカバー、新曲「育つ雑草」を披露。ファッションも、黒髪・ミニスカート・赤いブーツ・派手なメイクとロック色を強め、裸足・ナチュラル等といった今までの路線を一変させる。
    • 10月27日 移籍第1弾シングル「育つ雑草」発売。また、体調不良による年内の休養を発表。予定していたテレビ出演・雑誌インタビュー等も全てキャンセルする。
    • 12月1日 ベストアルバム『the ultimate collection』とDVD『the complete clips』を同時発売。
  • 2005年(平成17年)
    • 1月31日 Sony Music Artistsとのマネジメント契約をわずか9か月で終了。事実上の活動休止となる。
    • 7月26日 本人が住むマンションに花束を持ち30分近くインターホンを鳴らし続ける男が現れ、警視庁渋谷署に住居侵入罪(ストーカー規制法違反)容疑で逮捕される事件が発生する。
  • 2006年(平成18年)
    • 9月10日 映画『もんしぇん』の公開中、上映館(上野・国立博物館内映画館『一角座』)において、玉井夕海のユニット・Psalmとともにゲストライブに出演し、2004年の『SWEET LOVE SHOWER 2004』以来久々に公の場に姿を現す。映画について「音楽も映像も美しい。そんな美意識の高い映画は滅多にないと思います」というコメントを寄せる。
    • 9月26日 『週刊女性自身』に関係者によるコメントが掲載される。
  • 2007年(平成19年)
    • 2月20日 『ROCKIN'ON JAPAN』2007年3月号(ロッキング・オン社)誌上において、「鬼束ちひろ、シーンに帰ってくる」という見出しの記事が掲載される。翌日の2月21日にはスポーツ報知紙上でも復帰の内容が報道される。
    • 3月17日 小林武史主催のap bankのイベント『AP BANG! 東京環境会議 vol.1』にてライブを行う。ピアノとチェロの構成で「月光」と「MAGICAL WORLD」「everyhome」を歌唱する。3月18日付の日刊スポーツ紙上でその旨が報道された他、ファンに対し「待っていてくれたファンの方にはありがとう。これからもいい曲を作って歌い続けていきます」とのコメントが掲載される。
    • 4月1日 個人事務所であるNAPOLEON RECORDSを設立。
    • 5月12日 新オフィシャルサイトを開設。
    • 5月16日 音楽関係者を対象に『Welcome to everyhome -鬼束ちひろ プレゼンテーション試聴会-』を開催し、「everyhome」を披露する。
    • 5月30日 復帰作となる12枚目のシングル「everyhome」を発売。
    • 6月1日 テレビ朝日系『ミュージックステーション』に出演し、およそ4年振りにテレビ番組に登場する。フジテレビ系『僕らの音楽』でも特集が組まれ、小林武史との対談とスタジオライブが放送される。
    • 10月31日 3枚目のオリジナルアルバム『Sugar High』から実に4年10か月振りの発表となる、4枚目のオリジナルアルバム『LAS VEGAS』を発売。
    • 11月5日 ニッポン放送『鬼束ちひろのオールナイトニッポン』が放送される。オールナイトニッポン枠でパーソナリティを務めるのは2002年3月の『鬼束ちひろのオールナイトニッポンR』以来。
  • 2008年(平成20年)
    • 4月26日 単独公演としては2003年の『UNPLUGGED SHOW '03』以来4年8か月振りに、渋谷Bunkamuraオーチャードホールにて、1夜限りのプレミアムコンサート『CHIHIRO ONITSUKA CONCERT NINE DIRTS AND SNOW WHITE FLICKERS』を行い、新曲「SUNNY ROSE」や「蛍」等を披露する。
    • 8月6日 坂本昌之プロデュースの下、映画『ラストゲーム 最後の早慶戦』の主題歌に起用された14枚目のシングル「蛍」と、ライブDVD『NINE DIRTS AND SNOW WHITE FLICKERS』を同時発売。
    • 9月26日 2002年の『CHIHIRO ONITSUKA 'LIVE VIBE' 2002』以来約6年振りの全国ツアーとして予定されていた『CHIHIRO ONITSUKA CONCERT TOUR 2008 "VEGAS CODE"』の全5公演が、極度の疲労による体調不良のため中止になったことが所属事務所より発表される。これにより年内の活動を休止する。
  • 2009年(平成21年)
    • 3月13日 公式サイトで活動再開を発表。
    • 5月20日 復帰後初となる15枚目のシングル「X/ラストメロディー」を発売。
    • 10月28日 5枚目のオリジナルアルバム『DOROTHY』を発売。
  • 2010年(平成22年)
    • 4月28日 デビュー10周年を迎え、ベストアルバム『"ONE OF PILLARS" 〜BEST OF CHIHIRO ONITSUKA 2000-2010〜』を発売。
    • 6月 ユニバーサルミュージックとの契約が終了する。
    • 6月30日 「everyhome」~「陽炎」、「STEAL THIS HEART」のPVを収録したDVD「 HARD RED FANTASIA」を発売。
    • 8月18日 渋谷区の自宅マンションで同棲中の無職男性に殴られ、顔面骨折や肋骨骨折などで全治1か月の重傷を負い、9月17日に容疑者が逮捕される事件が発生する。
  • 2011年(平成23年)
    • 2月28日 所属レコード会社をフォーライフミュージックエンタテイメントに移籍したことを公式サイトで発表。
    • 4月6日 18thシングル「青い鳥」を発売。
    • 4月20日 6thアルバム「剣と楓」を発売。同時に、自身初の著書である自伝『月の破片』を発売。
    • 5月9日~6月4日 渋谷・SUNDALAND CAFEにて初の個展「CHIHIRO ONITSUKA『BUNNY AND THE PYTHON』」を開催。
    • 7月24日 JOIN ALIVE 2011に出演。
    • 9月21日 ニコニコ生放送レギュラー番組「鬼束ちひろの『包丁の上でUTATANETS』」がスタート。
    • 10月1日~15日 前回と同じく渋谷・SUNDALAND CAFEにて第2回個展「CHIHIRO ONITSUKA『WHOLE MONSTER PUNKS』」を開催。
    • 11月30日 『CHIHIRO ONITSUKA 'LIVE VIBE' 2002』以来約10年振りとなる全国ツアー「鬼束ちひろ CONCERT TOUR 2011『HOTEL MURDERESS OF ARIZONA ACOUSTIC SHOW』」が愛知県芸術劇場 大ホールの公演から開始。(全3公演)
  • 2012年(平成24年)
    • 鬼束が「発信」するファッションブランド「SCORPIO FACTORY」を立ち上げる。なお、この第1弾商品のTシャツ「KISS OF DEVIL」が、2011年11月-12月に行われた『HOTEL MURDERESS OF ARIZONA ACOUSTIC SHOW』で先行発売された。Tシャツ「KISS OF DEVIL」は、「CHIHIRO ONITSUKA ONLINE STORE」でも、2011年12月22日から販売開始。
    • 3月14日 『HOTEL MURDERESS OF ARIZONA ACOUSTIC SHOW』の東京国際フォーラム公演の様子を収録したDVD『HOTEL MURDERESS OF ARIZONA MY GUN』を発売。
    • 5月30日 自身初の洋楽カバーアルバム『FAMOUS MICROPHONE』を発売。
    • 6月22日 Twitterを始める。「あ~和田アキコ殺してえ。」「なんとか紳助も殺してえ。」との内容がツイートされ、一時ネットは騒然となった。ツイートは即削除され、翌日、公式サイトで謝罪文が掲載された。
  • 2013年(平成25年)
    • 3月11日 - 3月26日 「鬼束ちひろ CONCERT TOUR 2011『HOTEL MURDERESS OF ARIZONA ACOUSTIC SHOW』」以来約1年3か月振りのツアー「CHIHIRO ONITSUKA TOUR SHOW 2013 悪戯道化師(いたずらどうけし)」を開催予定。また、本ツアー限定で19thシングル「悪戯道化師」を発売する。

最近のメディア活動

インターネット

  • 鬼束ちひろの包丁の上でUTATANETS(2011年9月21日-、ニコニコ生放送)

連載

  • 涙の旧山手通り(『ROCKIN'ON JAPAN』、2007年9月 - 2008年9月)
  • セクシー・アルマジロの気まぐれ哲学(『ROCKIN'ON JAPAN』、2009年5月)

イベント

  • 鬼束ちひろ アルバム『剣と楓』試聴会(ラフォーレミュージアム原宿・Ustream生中継、2011年4月10日)